骨董収集の話

わたしの少ない趣味のひとつは骨董収集です。といっても、高価なものはほとんどなく、どちらかといえば美術品としてではなく、歴史を感じる遺物としての価値に重きを置いています。今回は、そんな骨董品の世界について雑談をすすめていきます。

①骨董品と金銭的な価値

そもそも、骨董品の金銭的価値は、数が増えないところにあります。形あるものは、いつか壊れる運命にあります。しかし、目の前の骨董品は、何百年も壊れることなく奇跡的に現在までその形を保っています。コレクターはその点に価値を見出し、この希少な物品を所持することに意味を見出しているわけです。ところが、もし、その数が増えるとすれば、骨董品の価値はどうなるでしょうか?

1.骨董品の常識が変わった

かつて中国の陶磁器や金属器は、蒐集家にとって高嶺の花でした。ところが、1980年代後半から、中国国内で開発ラッシュがはじまると、中国全土のいたるところで、地面が掘り返され、それこそ、捨てるほどの大量の発掘物が出てきました。

2.暴落する中国の古陶磁

日本にも、中国骨董が波のように押し寄せ、その結果、中国の古陶磁や金属器の値段は、あっという間に暴落してしまいました。たとえば、紀元前後の漢時代の緑釉の壺などは、1970年代であれば、300万円程度で取引されていましたが、現在では、コンディションのよいものでも50万円ぐらいまで価格が下落し、傷があったり、文様に面白みがないものであれば10万円を切り、5万円程度で入手できるものもあります。

また、アンダーソン土器に至っては、その希少性から、かつては500万円ぐらいで取引されていたものが、現在では、1~2万円の値付けがされて、市場に出回っています。

②骨董マーケットの特徴

かつて骨董のマーケットには、骨董店で物品を入手した客が、10年、20年とコレクター自身が楽しんで、あるいは持ち主が代替わりすることによって、また、骨董店に品が戻ってくるというサイクルが存在していました。

このようにして、顧客と店の間を骨董がゆっくりとしたペースで回ることで、マーケットは、常に物品のほうが少ない売り手市場となり、ゆるやかにビジネスが回転します。骨董品は、減ることはあっても、増えないことが大前提なので、取引によって、物品が値上がりしていくのが常識だったのです。

しかし、2000年代に起こった中国からの骨董の大量入荷によって、この古典的な骨董市場のスタイルが壊れつつあります。また、東南アジアなどでも、同様に開発の波が押し寄せ、中国同様に、大量の発掘物が骨董マーケットに参入するようになりました。21世紀に入ってから、ベトナム南部のホイアン沖で沈没船がいくつも発見され、無数の輸出用の陶磁器が引き揚げられたというトピックもあります。

③わたしのあるコレクター品の由来

わたしの蒐集品のなかに、ペルシャ陶器の色彩鉢があります。12~13世紀、イラン北部もしくはアフガニスタンでつくられた、直径20センチほどの色絵の軟陶です。長らく土中にあったため、全体的に色あせ、傷も多いのですが、鹿や馬などの動物や幾何学模様が描かれているのがはっきりとわかります。

ネットオークションで入手したものですが、わが収集品ながら、実に見事なものです。これが、10年ほど前に、わずか3万円ほどで入手できたのです。

1.戦争と貧困

この品が日本に流れてきた理由は、戦争と貧困です。北部アフガニスタン、あるいはイランの山岳民族が、国内の立ち入り禁止地区や、隣国の遺跡に越境して潜入し、大量に掘り出した陶器の一部であり、パキスタンからインド経由で、日本に輸入されたものでした。

2.現地の人びとは価値を知らない

アフガニスタンやイランには、現在でも、それこそ無数の遺物が転がっているのだそうです。しかし、本来であれば、これらは国外に流出してはならない文化遺産です。ですが、これらを掘り出した住民はその価値を知りません。わずかな食料と引き換えに売られたのでしょうか。

少なくとも、その歴史的価値を知るわたしとしては後ろめたい気持ちはありますが、せめて、日本のわたしの手元に置くことで、破損から守ることができるのだと。

そのように自分をいい聞かせ、ときどき取り出して飾っています。